”根底にある恐怖”から解放されて行くと
- 2018.12.18 Tuesday
- 10:57
今日は朝から富士山が見えました。
空が澄みきっていて外を歩いていると気持ちいな〜って思いました。
富士山って見ていて面白いな〜って思うのは、結構大きく見えるんですよね。
「ば〜ん!」って感じで迫力があるのですが、写真に撮ってみると「あれ?小さい?」って感じでありました。
今日も朝からバンデアコーク先生の『The body keeps the score』を読んでいました。
あれを読んでいると不思議と「す〜」って気持ちが落ち着く感じがあります。
なぜだろうって思ったときに、トラウマ治療の情熱に触れるからだろうなって思いました。
言葉、言葉にその感覚が感じられて、そうすると不思議と心がスッキリするというか、不思議と一体感を感じながらいるのです。
世界には色々な方々が、色々な分野のトラウマの問題に向き合っている。
そんな方々とも繋がっている様な、不思議な本だな〜って思うのでした。
日々の臨床でクライアントさんの回復を拝見させていただくと、少しずつの変化に「良かったな〜」って思うと同時に、その向き合っている姿勢に脱帽する感じがあります。
「私だったらここまで戦えるかな?」って思うからです。
その回復されたいという強い熱意に「いや〜お見事だな」って思います。
そして彼らを前にすると、昔の私を思い出すこともあります。
『あ〜あの時、私はこういう感じだったな〜」って思い出します。
そして月日が経って、今があるのだなって思います。
トラウマの問題を抱えていますと、幼少期からの根底にある恐怖を抱えて生きることになります。
師匠もトラウマの問題の奥底には、根底にある恐怖があるとおっしゃっています。
その恐怖を抱えて生きるって言うことは、私のイメージでは「難解な馬を乗りこなす」様な至難の技が必要になってくる様に思うのです。
暴れ馬をコントロールしながら、根底にある恐怖を抱えて生き続ける。
その難解な馬を乗りこなすために必要なのが、依存症の問題だったり、自分を演じて生きるなどの解離の問題だったりなのかもしれません。
常に襲ってくる恐怖の感覚を落ち着かせるために、お酒、薬、人などが必要になってくる。
そしてその幼少期の感情を抱えながら生きるために、自分以外の誰かを演じる必要がある。
演じて行くことで、周囲の社会と対応する事はできる。
しかし心は孤独に陥ってしまう。
本来の自分じゃない私を、ずっと生きざる得なくなってくる・・・。
根底にある恐怖を抱えているがゆえに、生きるための至難の技が必要になってくる。
その問題から解放されて行くと、様々な状況で自分の中にある幼い頃の感情が暴走することがなくなってくる。
そして私以外の何者かを演じる必要がなくなってくる。
そんな風に思うのです。
”私”の感覚を感じながら、そして周囲の世界を味わいながら眺めて行く世界が見えてくる。
私を取り巻く世界は、かつての世界とは違う。
一定の秩序のある穏やかな世界であることに気がつかれて行くのです。
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