”今”の私を生きる喜び
- 2019.03.11 Monday
- 07:21
昨日自転車で「しゃ〜!」ってオフィスに向かうとき、桜の花を発見しました。
毎年咲いている桜の花。
サクランボの実がなる面白い桜の木があります。
ほかの桜よりも何だかいつも開花が早いのです。
路地にひっそりとしていて「おっ!」って思って写真に撮りました。
ジュディスハーマン先生は、トラウマの再演について述べておられました。
トラウマを抱えている人は、トラウマにまつわる体の感覚とイメージによって支配されるというのです。
それは言葉による語りがなく、トラウマ性の記憶は小さい子供の記憶と似ているというのです。
精神科医レノアテアによるトラウマ性記憶に関する、幼少期のトラウマを抱えた子供20人に対する研究を紹介していました。
20人の子供の中で誰一人として2歳、1歳半以前に起こった出来事を言葉で表現することができなかったというのです。
それにもかかわらず、それらの経験は永久に記憶から消えない。
20人中18人の子供は行動や遊びの中でそのトラウマの記憶を証明している。
彼らはトラウマに関連する事に恐怖を示し、そしてかなり正確な形で遊びの中でその出来事を再演したというのです。
つまり記憶から抹消されているトラウマの出来事は、言葉によって表現することは出来ない代わりに子供の場合は遊びの中で再演されるというのです。
そしてジュディスハーマンは、トラウマを抱えた大人達もまた同様にこのような事があるとしている。
つまりトラウマの部分って無意識的な部分に落とし込まれている(時に健忘って言って記憶から抜け落ちてしまっている場合もあります)から、トラウマを抱えた当事者は気がつかないうちに苦しい選択をし続けるっていうことが起こっているというのです。
これらのトラウマの再演の部分は、度々面接場面でも遭遇します。
それらはご自分が被害を受ける側として再びトラウマを再演する場合もあったり、逆に加害をする側の立場として逆再上演する場合もあったりします。
「私は親のようになりたくない」って思っていても、トラウマの言語化しにくい部分に組み込まれているトラウマの問題によって、トラウマのレールの上を走り続けることがあります。
私自身も、父親の暴力の虐待を私の中に内包している時、父の怒りが私の中に丸々入っている感覚に苦しんだことがありました。
「あの様な人間になりたくない」って思っていたけれど、私の中にその忌み嫌う要素が入っている事に唖然としたことがありました。
それって深く見ていくと、父からの暴力のトラウマにまつわる恐怖や怒り等の感覚が過去の出来事として消化されていないから、だから、それらの感情が行き場を求めて宙に浮いた状態になって何回も何回も出てきていた。
「あなたはあの時、激しい怒りを感じていたのですね」「あなたはあの時絶望したのですね」って言う、本当はその感情にまつわる様々な言葉が付与されれば消化されていたのだけれど、その強烈な感覚だけが宙に浮いてしまっていた。
だから何回も何回もフラッシュバックや再演という形で出てくる。
そして私の中にそのたびに、父の要素を持った自分って言うものを突きつけられていた。
「あの様になりたくないのに、どうして・・・」って思っていた。
それはその時の本当の苦しみに、手が届いていなかったからって思うのです。
トラウマ治療をし始めて、その心の奥の奥の無意識の領域の苦しみに手が届いた時、初めて一枚一枚薄皮を剥がす様に感情を整理が出来始めた。
そうした時に、私は私を生きられる様になったのだと思うのです。
ほかの誰でもない私を生きられる。
自分の世界を取り戻した、そんな喜びをその時感じたのを覚えています。
”今”の私を生きる喜び。
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