人生の転換期
- 2015.05.31 Sunday
- 15:35
今日は午前中は結婚式に参加してきました。
窓から横浜の山下公園の風景があり、いつもの氷川丸があって「横浜だ〜」という風情を感じました。
私は地元は横浜ではないのですが、やはりこの土地は住みやすく居心地のいい所だよな〜って事をふと思いました。
いい天気で良かった〜という感じです。
私が横浜の土地に移り済む様になったのが、だいたい17年前ぐらいでした。
それまでは地方にいて、一人暮らしをしていました。その地方での一人暮らしというのも、一般企業に勤めていてそこで転勤の辞令が出て否応がなく一人暮らしをする事になったのでした。
それまで私は親からの拘束、特に父からの拘束がかなり凄かったので、この会社からの辞令が出てしまったという事は、本当にラッキーな展開でした。そうやって親元を離れてようやく少しずつ、親からの拘束から離れて行ったな〜なんて事を、早朝美容師さんとの会話で思い出しました。そしてしばらくして結婚を機に横浜に移りすんだのでした。
人生ってどんな展開が待っているかなんてわかりませんね〜。
そうでなかったら、今私はどうなっていただろうか?という風に思います。
今の様にカウンセラーとして仕事をする事や、大学で講師として仕事をすること等は、横浜に来た当初は全く考えていませんでした。どちらかというと、前にいた会社にずっといてそこでそれなりに仕事をこなすという風にしか思っていませんでした。
やはり私がこの道に入ったのは、自分が結婚を機に昔のトラウマの記憶に悩まされ、それまでの様に日常生活が送れなくなった事が大きく影響しているよな〜と言う風に思いました。結婚を機にどんどんと適応が下がり、外にでる事すら出来なくなってしまった状況から何とか脱出する為に必死だったというのが大きな要因だったのかもしれません。
電車に乗るとパニック発作が出てしまう、常に怒りの感情で自分がコントロールできない恐ろしい生き物の様に感じる状況や、刃物を見ると凍り付くような戦慄が走り、自分を傷つけしまう衝動にかられてしまう。生きる希望がもてなくて、死を常に考えるまでに落ちてしまったのでした。
今考えるとトラウマの再演、過覚醒、回避の症状がバリバリでていたのだな〜と思います。
自分で勉強をする事で、何が問題か?という事が見えて安心した事を覚えています。
自分がこのようになっているのは、自分がおかしくなったからではなくて、トラウマの影響によってこのようになるのは当然の事なのだと自分で自分を保護できる様になって、初めて「自分が生きていていい」という安心感を感じた事を思い出します。
自分はこの世にいてはいけない。早く消え去りたいって思っていましたが、何が問題か?という事がクリアに見えた事で、「生きて行こう」と思えたのでした。
そこからがスタートだったな〜という風に思います。
それまでは、問題がないフリをして演じる「はりぼて」の私が、だんだんとようやく「本当の自分」を生きられる様になったのだなと思いました。
アルコール臨床でも「底つき」という言葉がありますが、そこで本当の意味で私は白旗をあげて「底つき」が出来たのだと思いました。そしてその頃、かすかな希望を持って夢を見ていたのが、今の仕事だったのでした。
カウンセラーとして生きたい。大学で先生として教えてみたい。
そんな希望を持っていました。死にたいという気持ちと、将来こうなりたいっていう希望を持って生きている気持ちと半々だったな〜と思います。
絶望の淵で願った事が出来ている事はありがたいなと思います。
現実は、自分の足りない物を感じさせられる事の連続ではありますが、それもまた「生きている」という証だな〜って思います。
自分がこのまま死んでしまうのはあまりにも悔しすぎる、だから生き抜こうと思って走ってきた頃の事をふと美容師さんとの会話で思い出しました。
人間の可能性は面白く、不思議なものだな〜と感じます。
ちょっと暗いモードになってしまいましたが、そんな事をフト思いました。
興味のある方はカウンセリングルームグロースのHPをチェックしてみて下さい。
HP;http://www.shizuko-o.com/
アダルトチルドレン ブログランキングへ
にほんブログ村
窓から横浜の山下公園の風景があり、いつもの氷川丸があって「横浜だ〜」という風情を感じました。
私は地元は横浜ではないのですが、やはりこの土地は住みやすく居心地のいい所だよな〜って事をふと思いました。
いい天気で良かった〜という感じです。
私が横浜の土地に移り済む様になったのが、だいたい17年前ぐらいでした。
それまでは地方にいて、一人暮らしをしていました。その地方での一人暮らしというのも、一般企業に勤めていてそこで転勤の辞令が出て否応がなく一人暮らしをする事になったのでした。
それまで私は親からの拘束、特に父からの拘束がかなり凄かったので、この会社からの辞令が出てしまったという事は、本当にラッキーな展開でした。そうやって親元を離れてようやく少しずつ、親からの拘束から離れて行ったな〜なんて事を、早朝美容師さんとの会話で思い出しました。そしてしばらくして結婚を機に横浜に移りすんだのでした。
人生ってどんな展開が待っているかなんてわかりませんね〜。
そうでなかったら、今私はどうなっていただろうか?という風に思います。
今の様にカウンセラーとして仕事をする事や、大学で講師として仕事をすること等は、横浜に来た当初は全く考えていませんでした。どちらかというと、前にいた会社にずっといてそこでそれなりに仕事をこなすという風にしか思っていませんでした。
やはり私がこの道に入ったのは、自分が結婚を機に昔のトラウマの記憶に悩まされ、それまでの様に日常生活が送れなくなった事が大きく影響しているよな〜と言う風に思いました。結婚を機にどんどんと適応が下がり、外にでる事すら出来なくなってしまった状況から何とか脱出する為に必死だったというのが大きな要因だったのかもしれません。
電車に乗るとパニック発作が出てしまう、常に怒りの感情で自分がコントロールできない恐ろしい生き物の様に感じる状況や、刃物を見ると凍り付くような戦慄が走り、自分を傷つけしまう衝動にかられてしまう。生きる希望がもてなくて、死を常に考えるまでに落ちてしまったのでした。
今考えるとトラウマの再演、過覚醒、回避の症状がバリバリでていたのだな〜と思います。
自分で勉強をする事で、何が問題か?という事が見えて安心した事を覚えています。
自分がこのようになっているのは、自分がおかしくなったからではなくて、トラウマの影響によってこのようになるのは当然の事なのだと自分で自分を保護できる様になって、初めて「自分が生きていていい」という安心感を感じた事を思い出します。
自分はこの世にいてはいけない。早く消え去りたいって思っていましたが、何が問題か?という事がクリアに見えた事で、「生きて行こう」と思えたのでした。
そこからがスタートだったな〜という風に思います。
それまでは、問題がないフリをして演じる「はりぼて」の私が、だんだんとようやく「本当の自分」を生きられる様になったのだなと思いました。
アルコール臨床でも「底つき」という言葉がありますが、そこで本当の意味で私は白旗をあげて「底つき」が出来たのだと思いました。そしてその頃、かすかな希望を持って夢を見ていたのが、今の仕事だったのでした。
カウンセラーとして生きたい。大学で先生として教えてみたい。
そんな希望を持っていました。死にたいという気持ちと、将来こうなりたいっていう希望を持って生きている気持ちと半々だったな〜と思います。
絶望の淵で願った事が出来ている事はありがたいなと思います。
現実は、自分の足りない物を感じさせられる事の連続ではありますが、それもまた「生きている」という証だな〜って思います。
自分がこのまま死んでしまうのはあまりにも悔しすぎる、だから生き抜こうと思って走ってきた頃の事をふと美容師さんとの会話で思い出しました。
人間の可能性は面白く、不思議なものだな〜と感じます。
ちょっと暗いモードになってしまいましたが、そんな事をフト思いました。
興味のある方はカウンセリングルームグロースのHPをチェックしてみて下さい。
HP;http://www.shizuko-o.com/
アダルトチルドレン ブログランキングへ
にほんブログ村
- -
- -
- -